「……と言う訳で、相手が勝手に隙を作ってくれた様な物です」
落ち着いた声音で言う男に、俺は頷いて先を促した。
「私が角を曲がって来たのに余程驚いたのでしょうね。まさかあそこ迄派手に倒れるとは思わなかった」
「ええ。それは他の目撃した人も言っていました」
「その拍子にナイフを落としてくれたのには助かりましたよ。私も職業柄護身術は習いましたが、凶器を持っている人間の相手はするなと言われましたから」
「正しい指示ですね。無理をして怪我でもしたら大変です」
俺の言葉に、今度は男が頷き、微かに口の端を上げて笑った。
事の起こりは一時間程前にさかのぼる。
某町の路上にて引ったくり事件が発生。
犯人の高校生は中年女性のハンドバッグを強奪しようとしたものの、女性の抵抗にあい逆上。所持していたナイフで脅し、ハンドバッグを奪うと逃走した。
しかし、逃走途中で出くわした一般人の男性に取り押さえられ、御用となった。
今、目の前で事情聴取に応じている男が、その取り押さえた人物である。
それにしても……
「何か?」
俺の視線に気が付いたのか、男が短く問い返して来る。
「いえ。実は初めて探偵さんにお会いしたものですから」
第一印象はその筋の人間か?だった。
歳は48、探偵。
一人で探偵事務所を営み、浮気調査から迷子ペットの捜索迄、幅広く請け負っているらしい。
まだ黒々としている髪を後ろに撫で付け、ダークグレーのスーツと革靴で身を包んだ姿は、少し睨みを効かせただけで子供だけでなく大人も震え上がりそうである。
しかし、実際は違っていた。
「そうですか。確かに、ドラマでは良く顔を合わせますが、実際はなかなか会わないですからね」
穏やかな物腰に落ち着いた口調。
第一印象こそ怪しい物だったが、こうして話していると、そう思った事を詫びたくなる程、男は紳士であった。
「今回は被害が無くて良かった。ドラマで我々が顔を合わせる時は物騒な事が多いでしょう?」
「ですね。これも速やかに取り押さえて下さったあなたのお陰ですよ」
「いや、私はタイミングが良かっただけです」
引ったくり犯は右手にハンドバッグ、左手にナイフを持って逃走していたが、しばらく走った所の十字路で角を曲がって来た男に驚き転倒。その拍子に持っていたナイフを取り落とし、後ろから追いかけて来た女性の呼びかけで引ったくり犯と知った男によって取り押さえられた。
さすが探偵と言うべきか、聴取に対しても以上の出来事を理路整然と答えてくれた為、今回の事件は速やかに情報収集を終えられそうだ。
そして男の言葉は謙遜だとしても、嫌味が無い。
俺は殺伐とした気持ちになりがちな聴取室で珍しくリラックスしながら、男に頭を下げた。
「いえいえ。本当に助かりました。これで必要な情報も手に入りましたし、もう帰って頂いて結構です」
「そうですか。お役に立てたのなら良かった。では、失礼します」
男は椅子から立ち上がってから軽く会釈し、俺が扉を開けると待っていた同僚の警察官と共に静かにそこから立ち去った。
「いやぁ。探偵って格好良いですねぇ」
「詐欺師紛いの事をするヤツも居るらしいし、皆が皆あの人みたいじゃあないだろうけどな」
「それにしたって、あの物腰はただ者じゃないですよ。実は凄い名探偵だったりして」
「だったとしても、俺は驚かないぞ」
「あ、そういえばこの犯人は驚き過ぎじゃないですか?他の目撃者の話によると、思い切り足を止めてつまずいたみたいになったらしいですけど」
「ナイフ持って脅す様なヤツだからな。本当は小心者だったんじゃないか?」
俺は聴取役の警察官に答えると、肩を竦めて見せた。
「やれやれ。とんだ寄り道になってしまったな」
警察署から出て、しばらく歩いた所で彼は呟いた。
『一般の仕事』に絡む調査を終えて事務所に戻る道すがら、余り遠くない所から悲鳴が聞こえたのでそちらへ移動している途中、引ったくり犯が自分の方へと逃走してくるのが『雰囲気』で分かったのだ。
そのまま引ったくり犯の気配を追ってちょうど遭遇するであろう場所に向かい、さも角でばったり出くわしたかの様に振る舞い、『力』を使って引ったくり犯の足を止め、転倒させた。
勿論、ついでに手からナイフを落とす様、『力』を追加で使っておいたので引ったくり犯を難なく取り押さえ、万事良し。
端から見れば、驚いた犯人が勝手に転んでナイフを取り落とした様に見えただろうし、実際警察もそう捉えていたので問題無い。
過信は禁物だが、こういう時は不可視の『力』は便利な物だ。
「犯人には、運が悪かったと思って貰わなければな」
物理的な気配のみならず霊的な気配も察し、様々な物に対して禁ずる力を持つ探偵兼退魔士の男は微笑すると、帰路に着いたのだった。